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【復刻連載】ゴッホの絵の画面は、なぜあれほど輝いているのか

2021/12/24 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

■ゴッホ 8つの謎を探る旅─第1の謎
(この記事は2010年12月4日付で、内容は当時のものです)

 一つの言葉が気にかかっていた。画家の池田満寿夫氏がエッセーに書いていた言葉だ。〈ヴァン・ゴッホの絵は異常な視覚的経験として、一度見たら忘れることの出来ない放射能を持っている〉

 放射能、そうなのだ。この夏、東京・六本木の国立新美術館で開催されていた「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」で、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90)の『星降る夜』の前に立ったとき、くぎ付けになった。なんと画面が艶(つや)やかに輝いていることか。南仏アルルを流れるローヌ川の川面に街灯の光がたゆたい、にじみ、震えるような美しさできらめいている。

 それから1カ月後、欧州取材で訪ねたオランダのクレラー=ミュラー美術館で『アルルのはね橋』を見た。そこにあったのは紛れもなく中学生のころ、美術の教科書で見たあの鮮やかな美しい絵の実物だった。色彩の横溢(おういつ)、もはや統御できないほどの無数の色。それが躍り輝いていた。

 

 ゴッホの絵の画面は、なぜこんなに輝いているのか。描かれてすでに120年以上の歳月が流れているというのに…。

 情熱にまかせ、絵の具のチューブから搾り出したままの原色を画面にちりばめたから、という通説がある。本当にそうだろうか?

パリ・ソルボンヌ大学近くで、150年続く老舗画材店「デュボワ」。
主人のエリック・デュボワ氏は「ゴッホの絵の輝きには、
絵の具の溶き油が関係していないだろうか」と推測した(撮影・伊東昌一郎)

 「ひろしま美術館が、その関係で科学的調査をしているはずです」。そう教えてくれたのは、国立新美術館研究補佐員の工藤弘二氏だった。早速、広島に行った。ひろしま美術館は2008年夏、同館所蔵のゴッホ晩年の作品『ドービニーの庭』を徹底的に調べる中で、図らずもこの設問の解答への手掛かりを得ていた。

 まず、「ゴッホの手紙」から、ゴッホが収入のすべてを依存していた弟のテオに注文した画材を逐一集計した。その結果、判明したのは「白の絵の具の量が他の色に比べ群を抜いて多い」ことだった。同じ白でも2種類の白を注文していた。それは、亜鉛白といわれる「ジンクホワイト」(透明感があり他の絵の具と混色して濁りのない中間色を作る)と、鉛を原料とした「シルバーホワイト」(張りや嵩(かさ)をもたせ強固な画面を作る)。この2種類の白絵の具を特大チューブで何本も、ときには十数本も注文していた。

 その上で、実体顕微鏡(最大倍率50倍)による作品表面の観察、エックス線分析による使用絵の具の元素分析も行った。調査に当たった画家の吉田寛志氏が言う。

 「ゴッホは、原色のほとんどにジンクホワイトを混ぜて、柔らかく澄んだ色調の中間色を作って画面に塗っている。その上に塗り重ねるときは、粘性のあるシルバーホワイトを混ぜることで、色調はそのままに、厚みがあり堅牢(けんろう)で陶磁器のような光沢を放つ画面を作りあげた」

 

 愛知県立芸術大学教授で、ゴッホの研究家としても知られる小林英樹氏は、ゴッホの画面がなぜ輝いているのかに、独特の見解を持っていた。

 それは、アルル以降、ゴッホが自然光や外光が作り出す明暗や陰影を描く手法と決別し、まったく別の秩序・原理の絵画平面づくりを行った結果なのだという。「『アルルの寝室』をみてほしい。どこにも光源がなく陰影もない。しかし3~4メートル離れた地点から見ると突如、画面は輝きだす」。それは、原色に「灰色」(ゴッホはこの灰色を赤、青、黄に白を加えて作った)を混ぜて彩度を落とした中間色を画面に絶妙に配置しているからだという。輝きは、中間色が画面上で複雑に響き合う結果だ。「自然界の色彩の大半は原色ではない。だから十二色環の原色を組み合わせて絵を描いても、画面はけばけばし過ぎて心地よく輝かない」。画面上で中間色を響き合わせ、赤と青緑、黄と青紫などの補色(反対色)も絶妙の面積比で配置することで、彼の画面はがぜん輝き始める。小林氏は付け加えた。「ゴッホは、その実験と研究に精根を傾けた。そこも面白い」

 

 実験と研究? それはどういうことなのだろうか? その前に簡単にゴッホの画業を振り返っておく必要があろう。27歳で本格的に絵を描きはじめてから自殺する37歳まで、まる10年間のゴッホの画業は、大きく4時期に区分できる。

 素描でリアリズムを身に付け、色彩を抑えた油絵『じゃがいもを食べる人々』などの作品を描いたオランダの修業期。明るい印象派の色彩に出会い、それを受容咀嚼(そしゃく)し、日本の浮世絵の表現も研究して『タンギー爺(じい)さん』などの作品を描いたパリの開眼期。そして南仏の陽光の下でさまざまな絵画的実験がなされ『ひまわり』『夜のカフェテラス』などの作品で彼の資質が花開くアルルの開花期。さらに『星月夜』『オーベールの教会』などの作品を残した南仏サンレミ、終焉(しゅうえん)の地オーベール・シュル・オワーズの成熟期だ。

 そして、絵画史的には、彼が絵を描いた時代は、絵画に伝統的美的基準内での習熟や相対的卓越性を求める時代から、新しい手法や新しい個性、創造的卓越性に価値を置く時代への転換点にあった。絵画に新しい個性をどのくらい盛り込めるか、どれだけ人と違った絵画を描けるかに、画家たちの関心は移ろうとしていた。彼は、その過渡期を生きた。

 

 取材に行ったオランダで、「ゴッホの絵がなぜ輝いているのか」を研究者たちに聞いた。ユトレヒトのホテルでインタビューに応じてくれた前ゴッホ美術館主任学芸員のシラール・ファン・ヒューフテン氏は「ゴッホは尊敬するドラクロワの色彩理論を発展させ、色彩の配置で画面を輝かせる方法を自分のものにした。色彩のコントラストとハーモニーの画家だった」と説明した。アムステルダムのゴッホ美術館主任研究員のクリス・ストルウェイク氏は「ゴッホは、色彩的にも構成的にも『絵画はいかに現実を映し出すか』という伝統を壊し、『いかに自分に見えたか』を描いた。そこに答えの一端があると思う」と語った。

 ゴッホの実験に話が及んだとき、研究者たちが紹介してくれたのは、ゴッホ美術館が保管しているゴッホの遺品の赤い中国製小箱だった。整理中で見ることはできなかったが、箱の中には16個の色違いの毛糸が入っているという。それは色彩の原理を学ぶための実験用具で、ゴッホは毛糸を絡み合わせながら、色の配合、調和、補色を学んだという。

 思わず言葉をのんだ。

 彼は、そこまで、していた。(藤田 中)

取材協力(当時) オランダ政府観光局、フランス観光開発機構、西鉄旅行


▼「ゴッホ展―― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
 2021年12月23日~2022年2月13日、福岡市中央区の市美術館。オランダのクレラー=ミュラー美術館、ファン・ゴッホ美術館の収蔵品から、ゴッホの油彩画、素描など計52点のほか、ミレー、ルノワールなどの作品も紹介する。主催は福岡市美術館、西日本新聞社、RKB毎日放送。特別協賛はサイバーエージェント。協賛は大和ハウス工業、西部ガス、YKK AP、NISSHA。観覧料は一般2000円、高大生1300円、小中生800円。1月3日、10日を除く月曜休館。12月30日~1月1日と4日、11日も休館。問い合わせは西日本新聞イベントサービス=092(711)5491(平日午前9時半~午後5時半)。

■「ゴッホ展ーー響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」のチケットのご購入は
コチラから。

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