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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<11>憲法9条との相性 荒唐無稽とされた理想が現実味? 世界観退行させる「戦争」の比喩【連載】

2020/05/20 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 新型コロナウイルス感染症に対しては、「ウイルスとの戦い」という言い方を頻繁に耳にする。克服する、打ち負かすも同様だ。ようするに戦争だというのだ。

  だが、人間や国家主権のような主体性を持たない「無主物」のウイルスは、果たして戦争の「敵」なのか。定義から言えば、そうではない。だからこれは比喩なのだが、百害あって一利もない言い方だと思う。

  確かに、世界では何十万人もの人がこの新型肺炎で命を落としている。だが、それは戦争の結果、亡くなったわけではない。どんなに未解明でも、だからこそウイルスの所作は人為を離れた自然現象の一種なのだ。そこに加害「者」はいない。しかしそれでは理不尽な感情を向ける矛先がない。だからウイルスを侵略者に見立て、戦争の相手として敵対視するしかない。その気持ちもわからないではない。

  けれども、少し引いて考えれば、ウイルスの蔓延(まんえん)はむしろ戦争の継続を難しくする。生身の戦場はいうまでもなく3密の現場そのものだ。それだけではない。厳しい軍事教練にせよ、雄々しい大行進にせよ、それを支える軍楽隊にせよ、近代の戦争を支える組織の論理は一様に3密を前提としている。そのような場にひとたび爆発的な感染力を備えたウイルスが忍び込めば、どうなるか。兵士の多くは戦わずして病院送りとなり、戦争どころではなくなる。敵も味方も同じだ。つまり結果的にパンデミックは戦争を機能不全にする。

  私がここで思い出すのは、やはり現代美術家のオノ・ヨーコだ。まだビートルズ時代にジョン・レノンがヨーコの多大な影響下に共作して通称『ホワイトアルバム』に納めた実験的な曲に「レヴォリューション9」がある。私はひそかにこの「9」が、戦争の永久放棄を謳(うた)った--その意味ではまさしく革命的な--日本国憲法(平和憲法)の第9条のことではないかと考えている。

  この流れは、のちにレノン稀代(きたい)の反戦歌として名高い「イマジン」の歌詞へと繋(つな)がっていく。この曲が、ヨーコとの事実上の共作であったことをレノンは生前に認めている。その背景にも、やはり憲法第9条があったのではないか。

  なにが言いたいのかというと、戦争が困難なパンデミック下の状況は、人類にとって大変な危機であると同時に、そのようなパンデミックと共存していかざるをえない来るべき世界では、戦争の意味は著しく下落する、ということだ。そのような事態が、左翼の理想に過ぎないと長く揶揄(やゆ)されてきた憲法第9条と、実は相性がよいのではないか。言い換えれば、憲法第9条に記された主権国家としては荒唐無稽としか言いようのない世界観が、コロナ危機によって、実はにわかに現実味を帯びている、とも解釈できる。

  としたら、ウイルスとの戦いを戦争に例える比喩は、コロナ以後ではなく、コロナ以前の世界観へと人類の態度を退行させるだけだ。緊急事態宣言の強化には改憲が必要という声も高まるだろう。最悪なのは、近代的な組織論に基づく戦争が不可能でも、非接触型のロボット工学や遠隔爆撃を使えば、パンデミック下でも戦争は可能だと、戦争の概念を「進化」させてしまうことだ。

  新型コロナウイルスという人類にとって初対面の存在を、戦争によって打ち勝つべき敵と考えるか、それとも、そのような環境を前提に共存し、人類の旧来の価値観そのものを抜本的に変化させる「革命」のきっかけと受け取るか。アートの想像力は大きな鍵を握っている。(椹木野衣)=5月14日付西日本新聞朝刊に掲載=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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