日中文化交流協定締結40周年記念
特別展「三国志」
2019/10/01(火) 〜 2020/01/05(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
2019/12/19 |
長崎市の興福寺を訪ねた。江戸時代初期、中国系商人らによって建てられた唐寺(とうでら)で、朱塗りの伽藍(がらん)が異国風だ。本堂の左に航海の神・媽祖(まそ)を祭る堂があり、その中に関帝像が座す。「三国志」の関羽が財神となった姿だ。
2世紀末から3世紀初頭に生きた関羽は、12世紀の北宋で国家守護の神とされた。周辺国に圧迫された徽宗帝(きそうてい)は民衆に人気がある関羽に「忠恵公」の神号を贈り、自国の弱兵を励ました。
北宋が滅亡した後も、明や清の皇帝は関羽の神としての位階を上げ、その神威を借りて兵を戦地に追い立てた。
猛将関羽が軍神となるのは理解できるが、財神としてもあがめられているのは奇妙に思える。一般的な理由に、曹操からの恩賞を返還した逸話や、大福帳やそろばんを発明したとする俗説が挙げられるが、ぴんとこない。しかし複数の研究者が指摘する製塩業との関わりには信ぴょう性を感じる。
中国の歴代王朝は塩を専売制とし、国家財政の柱とした。官製の高額な塩を売りつけられる庶民は生きるため安価な密造塩を求め、製塩業者や行商人と結託した。そして密売ルートを義俠心(ぎきょうしん)の倫理によって守った。
製塩業が盛んな地域の一つに山西省解県がある。関羽はここの出身者なのだ。義将として描かれる同郷の英雄が、守り神にかつぎ出されたのは当然だろう。行商組織のよりどころとするため、関羽を祭る関帝廟は各地に築かれた。転じて、商売の神として庶民の信仰を集める場にもなったらしい。中国の関帝廟の数は孔子や釈迦の廟よりも多いといわれ、華僑によってアジア各地の中華街にも造られた。
国家が祭った軍神と、庶民が祭った財神という二人の関羽が存在する、と捉えれば理解しやすい。
この対照的な二人の関羽に九州国立博物館(福岡県太宰府市)で一度に対面できる。一つは特別展「三国志」に展示中の青銅製「関羽像」。武人としての関羽が強調され、15~16世紀の作とされる。明末に至って付いた軍神・関羽の神号は「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」。勇ましさこの上ない。
もう一つは興福寺の「関帝倚像」。文化交流展示室で特別公開されている(12月22日まで)。1663(寛文3)年の作で、関帝像としては日本最古級かつ最大級である。木造漆箔(はく)造り。江戸期の太平を映して、その姿は穏やかだ。日本の関羽は武人のイメージを離れ、庶民のささやかな願いに耳を傾けている。(大串誠寿)=11月30日西日本新聞朝刊に掲載=
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