江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2020/09/07 |
言葉が現実に追いつかない。いや、現実が言葉を置き去りにする。
いまだ衰えを知らないコロナ禍の世界に、疑心暗鬼の言葉が飛び交う。それは時に鋭利な刃となり、人々は傷つけ合う。
<われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。>
ざらついた今を描いたような詩なのに不思議と胸に染みるのは、はるか彼方( かなた )へと思いはせるからか。
福岡市・天神のイムズにある三菱地所アルティアムで開かれている「最果(さいはて)タヒ展」。現代詩の最前線を走る詩人の書き下ろしを中心に、本来なら本の中にあるはずの言葉をギャラリーに並べた。それらは独特の引力で読む者を新たな次元へと導く。
「街で不意打ちのように出合う言葉を大切にしてきました。展示を見るという行為によって、読むことの能動性がはっきりする。詩のもう一つの見せ方なのではないでしょうか」
こう語る最果タヒさんは1986年生まれ。高校時代からインターネットで詩を発表し、2006年に現代詩手帖賞を、08年には第1詩集「グッドモーニング」で中原中也賞を受けた。詩集の映画化や小説の執筆などジャンルを超えた活躍でも注目される。
詩はグループ展や個展で展示してきたが、九州では初めて。映像作品や言葉をオブジェのように組み合わせた作品、入り組んだ直方体に詩を記した作品など多彩な7作品で構成した。
<愚かしさを許さない愛が、向こう岸で光っている、>
<未来に、約束されたさみしさが美しさというものです。>
<理論的に説明してごらんと、言われて、死ぬしかなくなった。>
「詩になる直前の、アルティアムは。」は、詩の断片が書かれた白と黒の板を広い展示室に無数につるした。室内を歩きながら出合う言葉には脈絡がない。ただ、最果さんの作品は詩集でも発想が果てしなく飛躍するため、唐突な言葉の連なりはむしろ喚起させるイメージを膨らませる。
「私の詩は読み手によって解釈が異なる。詩を一方通行で読むのではなく、好きなように見てそれぞれの詩を完成させればいいと思っています」
詩を書こうと意識してしまうと創作できない。だから、スマートフォン(スマホ)を使い移動中や飲食店で並んでいるような日常の中で筆を執る。
「自分の頭の中にあるもののために言葉を用意するのではなく、意思を先回りしている言葉を追いかけていく。すると、言葉の奥行きに触れられるんです。そんな時、詩はダイナミックになります」
読者の意思までをも攪拌(かくはん)する作品の秘密をこう明かす。熟考し、最初の1行目が浮かぶと次々に言葉を捕まえていく。だから、即興で生まれた詩の方が出来がいいとも語る。
会場では、最果さんが使っていたスマホを展示し、詩が書かれていく画面を映している。時に言葉に迷い、時に削りながら一編の詩が完成していく過程は、詩人の頭の中をのぞき込むようで興味深い。
言葉は元来、意思疎通のための道具であった。やがて、駆使することで詩や小説など豊かな表現も可能になった。そして現在。当たり前のように広がった会員制交流サイト(SNS)には、これまで活字にならなかったような言葉さえ踊る。言葉は自由になったのか? 最果さんは、逆に窮屈になったと考える。
「自分自身の言葉ではなく、共感されやすい言葉をみんなが積極的に発しているのではないか」
コロナ禍のネットには、おびただしい数の誹謗(ひぼう)中傷があふれた。それらは自らの考えではなく、多数の怒りに反射的に乗じてしまった結果だと見る。
「自分の感性を通過しない言葉で人を傷つけているから、相手がどう思うのか想像が及んでいない」
<大きな生物から流れ出した血が、言葉を覚えて語り出す。>
スマホに映された詩は、言葉の不吉な未来を予見しているようにも思えた。 (藤原賢吾)
=8月29日付西日本新聞朝刊に掲載=
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