江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2022/04/08 |
2020年5月に他界した画家、菊畑茂久馬さんとは晩年、濃密なやりとりをさせていただいた。とりわけ菊畑さんが15年に福岡から上京し、東京国立近代美術館で全点が公開中だった同館所蔵の藤田嗣治による戦争画を一緒に見て歩いたあと、当の戦争画をめぐって忌憚(きたん)のない意見を交わした対談(『美術手帖』)は、忘れられない思い出だ。
美術批評家としての私の仕事の核のひとつに「戦争と美術」があるが、そのきっかけとなったのは、菊畑さんの存在にほかならない。1970年に無期限貸与という異例のかたちで米国から日本に戻された戦争画の意味について、多くの論客が沈黙を守るなか、真っ先に議論の爼上(そじょう)に載せたのは、批評家でも歴史家でもない、ひとりの「絵描き」であった菊畑さんだった。
ほかにも菊畑さんからは多大な刺激と影響を受けた。美術については独学である私にとって、その意味で菊畑さんは心の師匠と呼べるほど大きな存在だった。その菊畑さんの逝去が伝えられたとき、思わず東京から駆け付けたい衝動に駆られた。が、それはできない。すでにコロナ・パンデミックが世界を覆い尽くしていたからだ。
コロナ・パンデミックが死者との別れをあいまいなものにしたのは、程度の差こそあれ誰でも覚えがあるのではないか。どんな著名人でも規模の大きな葬式は感染防止のため挙行されていないし、しのぶ会も多くの人を集めるので難しい。おのずと死もまた「密」な実感を伴わないものとならざるをえない。いつまでも、ひょんなことからどこかで顔をあわせそうな気がしてならないのだ。
そんな菊畑さんとの「お別れ」がようやくできたのは、3回目のワクチン接種を終え、新型コロナによる第6波も落ち着きを見せた去る3月のことだった。福岡市内を見渡せる小高い丘陵に位置する寺の一角に、そのお墓はあった。「菊畑さん、来ましたよ」「お世話になりました」と声をかけ、墓前で腰を下ろして手を合わせ、やっと自分のなかでひとつの節目がついた気がした。菊畑さんの逝去から2年近くが経とうとしていた。こうした時間差を伴う「別れ」は、今後もコロナ・パンデミック下では常態となっていくのだろう。
その菊畑さんに無理を承知でお願いし、福岡市美術館の学芸員、山口洋三氏に協力を仰ぎ、2016年の釜山ビエンナーレの際に再制作をしていただいた「奴隷系図(三本の丸太による)」(オリジナルは1961年)が、現在、福岡市美の新収蔵品展で公開中だ。1983年にやはり再制作され、現在は東京都現代美術館が収蔵する「奴隷系図(貨幣による)」(同前)とは異質の、この時期の菊畑さんについて知るうえでたいへん貴重な作例である。齢(よわい)を重ねてからの過去作の再制作は、それを行うかどうかの決断はもちろん、記憶や素材の準備、どこまで再現するかなどでハードルはいっそう高い。「これは私から椹木さんへの贈り物だ!」と威勢よく声をかけてくださったのを今でも思い出す。
その菊畑さんが生きていたら、いまロシアとウクライナのあいだで起きている戦争について、絵描きとしていったいなにを思っただろう。「戦争と美術」は、過去の代物ではないのだ。それどころか、いまこそ生々しい。菊畑茂久馬の亡きあと、アートはどう対峙(たいじ)するのか。ましてやパンデミックの渦中での戦争ならばいっそうに。(椹木野衣)
=(4月7日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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