ゴッホ展
響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
2021/12/23(木) 〜 2022/02/13(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
2021/12/25 |
■ゴッホ 8つの謎を探る旅─第3の謎
(この記事は2010年12月18日付で、内容は当時のものです)
夜のパリを独り、さまよい歩いた。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90)が一番愛した女性は誰だったのか? そんな謎のヒントを求めて。
10月下旬、気温は10度を下回っていた。はき出す息は白く、あっという間に闇に消える。すれ違うパリジェンヌを思わず目で追う。白い肌。自然な髪のウエーブ。着飾らないのにおしゃれ。オランダの片田舎から出てきたゴッホも、都会的な女性たちに目を奪われただろうか?
ゴッホは37年の生涯を独身で過ごした。成就しなかったが、複数の女性に求愛し、家族を求めた。彼が残した手紙に、こんな一節がある。
〈女と男は一つになることができる、つまり半分ずつ二つでなく、一つの全体になる、そう僕も思う〉
ゴッホの愛情は誰に向けられたのか。文献や証言が残されているわけではない。取材中、それまで自信満々に持論を展開していた専門家たちも、この問いには言葉を濁す。欧州取材で会ったゴッホ研究者の多くから「それは良い質問だけど、難しい質問だね。興味があるから分かったら教えて」とかわされた。
ゴッホの評伝に目を通すと、彼が恋したとされる女性4人が固有名詞を持って登場する。
1人目は、美術商のロンドン支店に転勤した際、下宿していたロワイエ家の娘ウージェニー。20歳のゴッホにとって初恋だったと言われている。恋心を内に秘め、ロンドンで生活を始めた翌年、休暇でオランダに帰郷する直前に結婚を申し込む。だが、既に婚約者がいた彼女に拒絶される。最初の挫折となった。
2人目は、いとこのケー。ゴッホより2歳年上で、夫を亡くし、オランダ・エッテンにいたゴッホの父の牧師館に幼子とともに滞在していた。28歳になっていたゴッホは、聖職者の道を断念し、父のもとに戻り、絵描きの修業を始めていた。新たな門出をケーと一緒に歩みたいと考えたゴッホは、亡夫の思い出にひたる彼女に激しく求愛した。しかし、今度も「だめです。絶対にだめ」と激しく拒否される。
その後、逃げるようにアムステルダムの実家に戻った彼女を追ったゴッホは、ランプの炎に手をかざし「手を突っ込んでいられる間だけでいいから、会わせてほしい」と彼女の両親に迫ったという。
3人目は、ハーグ時代に出会ったシーンという名の娼婦だった。29歳のゴッホより年上で、幼い娘がいる上、父親の分からない子どもを身ごもっていた。ゴッホの手紙の表現を借りれば、がさつで無教育、顔にあばたがあったという。それでもゴッホは彼女の暮らしを支えるため何度もモデルを頼み、その後、約1年2カ月、一緒に暮らした。ゴッホにとっては生涯で唯一、生活を共にした女性だ。
一時は結婚を考えたが、ゴッホの家族や周囲の友人から強く反発される。収入がなく、弟に頼らずには家族を養えないゴッホは、結局、彼女と別れることになる。
4人目の恋の相手は、再び両親の保護を受けて画業に取り組んでいたオランダ・ニューネン時代、隣に住んでいたマルホだった。31歳のゴッホより年上で親切な女性だったいう。彼女の方から結婚を申し込まれるまでに仲が進展するものの、家族の全面的な反対に遭ったマルホは服毒自殺を図る。未遂に終わったが、二人の関係もそれで終わった。
4人のほかに、パリ時代にカフェの女性経営者アゴスティーナと愛人関係にあったという指摘もある。パリに移って以降もゴッホの心を奪った女性は現れているのかもしれない。だが、手紙に彼自身の恋愛をめぐる記述はほとんどなくなり、愛の軌跡をたどることはできない。
それだけに気になる。ゴッホはどんな女性に心引かれたのだろうか、と。学習院大学教授の有川治男氏(西洋美術史)の考えは、簡潔にして明快だった。
「たまたま近くにいた人ですよね。親しくなるとだいたい好きになってしまう。寂しがりやで人恋しい。だから自分に良くしてくれたり、言葉を交わした人ともっと時間を共にしたいと思ってしまう」
ただ、ゴッホが選んだ相手は、家族や友人からすれば素直に祝福できない女性ばかりだ。なぜ、ゴッホはこうも恋愛に不器用で空回りばかりなのだろうか?
落ち葉が地面を埋め尽くしていた。ゴッホの父も奉職した、ゴッホの生誕地オランダ・ズンデルトの礼拝堂。49代目のティネケ・フェルドハウゼ牧師はこう語った。
「牧師になりたかったゴッホの根源には、キリスト教的な倫理観があります。自分のすべてを他者に投げ与えて、献身の対象と合一しようという願望が恋愛でも発揮されたからではないでしょうか。それが強烈なので相手が引いてしまう」
しかし、ゴッホは毎回、自己の破滅を覚悟してまでは、愛を貫こうとはしていない。とりわけ父親や弟の理解が得られず行き詰まると、女性と離別している。
ゴッホの恋がいつも空回りし、成就しなかったのは、彼の思い込みが激しく、思い込むと周囲が見えなくなってしまったから、そして彼の恋愛が、第一義的には自分への理解者が欲しいという動機に根差していたからではないか。
東京大学教授の三浦篤氏(西洋美術史)は「ゴッホは自分が愛するのと同じ強度で、相手の愛を求めてしまう。それで破綻をきたすことになる」と指摘する。ゴッホは結局、自分しか愛せなかったのではないか。
「ゴッホ展」を見るため、東京・国立新美術館を訪れた。建物を出るとすっかり日が暮れていた。帰り道の表参道。ケヤキ並木のイルミネーションが、幸せそうに歩いている何組ものカップルに彩りを添えていた。人の愛し方は、ひとそれぞれだ。10組のカップルには、同じ数だけの愛の形があるはずだ。
ゴッホの愛の要求に応えられる人はいなかった。手紙で〈芸術への愛は本物の愛を失わせてしまう〉とも記している。彼は、自分しか愛せなかった。そうかもしれない。
それでも、と思いたい。
ゴッホの一生の中で、娼婦のシーンと過ごした時間が突出して幸せであったろうと。ゴッホは、かりそめとはいえ、家庭を持つ感触に心を温めたはずだ。彼女は、ゴッホと同棲中に出産した父親の分からない男児に、ゴッホのミドルネームと同じ「ウィレム」と名付けたという。シーンもゴッホの愛情に応えたのだと思う。そう思いたい。(佐々木直樹)
取材協力(当時) オランダ政府観光局、フランス観光開発機構、西鉄旅行
▼「ゴッホ展―― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
2021年12月23日~2022年2月13日、福岡市中央区の市美術館。オランダのクレラー=ミュラー美術館、ファン・ゴッホ美術館の収蔵品から、ゴッホの油彩画、素描など計52点のほか、ミレー、ルノワールなどの作品も紹介する。主催は福岡市美術館、西日本新聞社、RKB毎日放送。特別協賛はサイバーエージェント。協賛は大和ハウス工業、西部ガス、YKK AP、NISSHA。観覧料は一般2000円、高大生1300円、小中生800円。1月3日、10日を除く月曜休館。12月30日~1月1日と4日、11日も休館。問い合わせは西日本新聞イベントサービス=092(711)5491(平日午前9時半~午後5時半)。
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