江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
木下貴子 2018/11/12 |
「この隔たりを」というテーマのもと、公募に挑み、作品を作り、そして展示を実現した3人のアーティストたち。それぞれ作品や制作背景、思いなどについて話をうかがいました。
取材・文:木下貴子(Fukuoka Art Tips)
●寺江圭一朗
《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》は、寺江が2016年8月から2018年1月にかけて研修制度で滞在していた中国・重慶市で出会った、ホームレスの青年との約1年にわたる交流を記録した映像と、二重露光の写真、青年が描いた絵画、作家によるテキストで構成される。
はじめは中国の再開発地域をもとに作品を作ろうと考えていたという寺江。「中国の問題点というか、古い建物を壊して新しいビルを建てているエリアがあって。全部壊されているなか、一つだけしぶとく居続けている宿があり、そこに泊めてもらうようになったんですよ。そのエリアを散策していたらアイデアでも出てくるかなって、1カ月ぐらい通っていたたなかで、ホームレスの彼を知ったんです」。
青年に初めて声をかける場面を映す《出会う》からはじまる記録映像は全10作。うち半数以上が、椅子を作ったり、絵を描いたり、トウモロコシを焼いて食べたりと、寺江が青年に何かを提案し、それを受けての青年の行動が映し出される。青年がホームレスになった理由や社会背景などには特に触れることなく、2人の交流の様子が淡々と流れる。「作品には使ってないけど『なんでホームレスになったか』とか『働かないの?』とか、一応聞いてはいるんですね。話はしたけど、あんまり……。僕が選んでいるんでしょうね。提案はたくさんして彼がやらなかったこともすごくいっぱいあったし、要は彼がやってもいいよってことだけでできています」。2人の会話は、当然ながら中国語だ。寺江による手書きの字幕は、寺江自身も分からない箇所があり、それらは謎の記号やぐちゃぐちゃっとした線で表されている。通訳も翻訳も介さない。「訳してもいいんだろうけど、僕にとってはあんまり意味がなかったんで。夢の絵を描いてもらった《夢》という作品は、帰る直前に撮影してつい最近編集したんですけど、まじでなに言っているかわかんなくて。あれ、なんでこれしゃべれてるんだろう、なに言ってるんだ、みたいな(笑)」。
過去に寺江は、韓国で見知らぬ人に韓国語でトイレ掃除をさせてほしいとお願いする作品なども作っているが、本作も言語を強く意識したのだろうか。「作品に表れているか分かりませんが、基本的に人って考えたりするときも言葉を使うと思うんですよ。すごく理想的な概念みたいなのってたくさん生みだされてはいるけど、便利な言葉が。たとえば『平和』とか。だけど頭で思いついてはいるけど、基本的にはそれができていない。せっかく思いついてはいるけどできないっていうのは、まだ言葉で考えることができないからだと僕は考えていて。言葉の扱い方というか、そういうのを更新できるようなことができたらもうちょっとマシな人間になるというか、僕自身も世の中の人々も。言葉についてはそういうことを考えています」。『この隔たりを』というテーマは、これまで寺江が考えてきた言葉に対する意識に近かったともいえるかもしれない。
「僕の提案によって彼が何かやってくれたり、話をしてくれたりしたものがカメラに映る。彼の反応や僕に話しかけている雰囲気が、僕のイメージを作ってくれているっていうふうに最初は考えましたね。彼の映像を通して、鑑賞者には僕自身がどういう人かっていうのも見えるんじゃないかと思ったんですよ。あとは、僕は外国人で彼は中国人で、彼はホームレスで僕は美術やってる人でって、まったく違う2人で、でも彼の生き方みたいなものがそのまま僕の生き方みたいなものにも少し関係するようになってきていて。いまは。だからといって僕はホームレスにはならないと思うけど、具体的に作品として見えにくい部分で、彼が僕に影響を与えているということは確実にありますね」。映像ではタイトルの《私の行動があなたをつくる。》の部分を感じられたが、会場奥にあるテキストこそタイトル全体を表しているように思える。「確かに作品として示せているのは、これが一番そうかもしれません」。とても長いテキストだが、ぜひ会場で読み通してほしい。映像を見るだけよりも、本作の感じ方、捉え方がきっと異なるだろう。
●木浦奈津子
3面の壁に展示される13点の絵画。《うみ》あるいは《こうえん》と題されたこれらの作品は、木浦の生活圏内である鹿児島の風景を描いたものである。「書道のように描きたい」というはやく勢いのある線で簡潔に描かれた画面。特定の場所や時間、作家の心情をできる限り排除し、他者に開かれた風景画として提示される。
「あまり絵を作り込みたくないというか、作り込むと嘘になるんじゃないかというのを昔からずっと思っています」。作り込まずに出せる方法として、はやく描く。作品は構図を決めて撮った写真を参考に、色も印象を変えずに描くという。「対象物をみた印象をそのままに。写真を撮った後に描くわけなので、その写真を撮った時の自然なまま、自分の感情を入れずに絵を描くためにもはやく描く方法が一番いいかなと。(時間をかけてしまうと)いろんなものが変化するし、自分自身も変化します。その変わっていくことのが嘘じゃないかなって感じたことがあって。自分の意識というよりも見たそのものを描いていくというところが大きいですかね。じゃあ写真でいいじゃんって思うんですけど(笑)。でもそれを絵画でやりたいと思っています」。個人的な場所を表す風景でもなく、心象風景でもなく、他者に向けて。木浦の描く風景画は、だからこそ見る者にとっては、そこが未知なる場所にもかかわらず、昔行ったことがあるような、あるいは夢の中で見たような、感覚を共有するような作品となるのではなかろうか。
風景に人が入った作品もある。「昔は景色だけだったんですが、意図的にというわけではないですけど、最近人が増えてきました。人にちょっと興味がでてきたのかもしれません。いままで風景がおもしろいなって思っていたんですが、人が風景に入っているのもおもしろいなって思えてきたのも大きいかもしれません」。ただ人とはいっても、人影のように描かれ、性別も年齢も判断できない。ここでもまた、特定のものが排除されている。
自分を出さないように、感情を入れ込まないように描く一方で、「自分となかなか切り離せないというか、結局は自分のフィルターを通して絵を描かざるをえません。そこに矛盾というか『隔たり』があります」。
Local Prospectsの公募に応募したのは、今回で3回目。「受かるまで出そうと思っていた」と胸の内を明かしてくれた。「アルティアムのように有名なギャラリーで作家を公募するという企画自体がめずらしくて。ずいぶん前ですが、別の公募展(※「For Rent! For Talent!」)も企画されていましたよね。その時に、アルティアムは地元の作家を後押ししてくれるようなところなんだと思い、何度か展覧会も見にきて、ここで展示したいなと思っていました」。もう一つ、Local Prospectsの公募選出が作品そのものではなく作品展示プランであったことも大きい。いくつもの作品を壁に展示して生まれる「空気感」を木浦はとても大切にするからだ。会場ではぜひこの「空気感」まであわせて、鑑賞してほしい。
●吉濱 翔
吉濱は新作と過去作で空間を構成した。映像はいずれも大きなスクリーンではなくタブレットを使用し、タブロイド紙のテキスト《僕は舟でゆこう》は前に1人掛けの小さなベンチを置き、座った目線でみられる高さにするなど、1つの作品と1人の観客が向き合う展示となっている。
はじめに展示される《魂のゆくえ》は、吉濱の知人女性が「マブイグミ」という沖縄の風習をおこなっているドキュメント映像作品だ。とにかく音のインパクトがすごい。「マブイグミ」とは身体から抜け落ちた魂(マブイ)をもう一度身体に込めるおまじないというが、小さい画面にもかかわらず映し出されたその場所に、まさに自分の魂が入りこんでいるような感覚にさえなる。「音がきれいでしょう。バイノーラル録音という方法で、360度音を拾って撮っています。僕がカメラをもち、僕が実際に聴いている音がそのまま入っているんで、距離とか位置とかが伝わるんです」。園児らの声がするシーンに至っては、つい振り向いてしまったほどリアルだ。「儀式をやってくれた(出演者の)彼女との関わりが重要な作品ですが、もう一つ、音に気持ちや時間を込めると聴こえ方が変わるのではないかということを試してみたかった作品です。石を川に投げるシーンがあるんですが、彼女にはその石を一週間もち続けてもらいました。石が川の水面に当たるとおそらくポチャンと鳴るんだろうけど、一週間もち続けた石だとその音の響きが違うんじゃないか、心まで響いてくるんじゃないかってことを音楽的に考えたんです。彼女には好きなように行動してもらいましたが、その石の演出だけはお願いしましたね」。
新作《寄り道しながらゆこう》は、吉濱が普天間基地移設問題に向き合うために高江に向ったプロジェクトだ。「僕は基地反対だけど、デモとか座りこみとかに参加するときに労働歌を歌ったりとか、みんなで『基地反対』とか声を揃えることに対してすごく居心地が悪くなって、デモの現場に行きたくなくなるんです。他に関わり方がないかなと自分なりに考えた答えが、じゃあいろんなものを挟んで現場に行こうって……。おいしいご飯食べて、海みて、観光して、友達とふつうのことしゃべってとかしつつ、北上して現場に近づくにつれてみんなの意識も現場に近づいていく。どんどん頭の中の割合を占めるようになってようやく、体も心も辺野古や高江にチャンネルを合わすことができるんじゃないか。そういう試みというか、アクションです。現場で見て、歴史を学ぼうとか戦争がどうとかいうのは自分一人では抱えきれないから、そういうのではなく、美味しい物食べて行った先にそういう問題があるという関わり方もあるんじゃないでしょうか」。プロジェクト実行時の記録映像ではなく、プロジェクト実施後にイメージとして作られた映像と、プロジェクトに関するメモや地図が展示される。
「僕にとって大事なのは現場性だったり即興性だったりするので、そうじゃないものを展示することになるので作品とはいいにくい。個人的な思い入れとか、記憶とか、体験とかを振り返って、じゃあそれをどうもっていくのか。今回は、見せるためにものを作って展示したというよりは、どちらかいうと日記のようなもので、個人的なものをこの期間だけちょっとお見せするというのがイメージとして近いですかね」と話す。その日記のような視点から、見えない(あるいは見たことのない)沖縄の一部が見えたように感じた。
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