闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s
2018/11/23(金) 〜 2019/01/20(日)
10:00 〜 20:00
福岡アジア美術館
2018/12/05 |
異なる時代と地域をつなぐ版画運動のネットワークに注目し、日本を含むアジア近現代美術史全体をとらえなおす意図を持った展覧会「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」(福岡アジア美術館にて2018年11月23日〜2019年1月20日開催)。丁寧な調査・研究に基づいた本展は必見です。その魅力の一端を、【レポート】微笑みに隠された多文化――『タイ~仏の国の輝き~』を勝手に見るでもナビゲートしてくれたお二方による対話形式でお届けします。(ARTNE編集部)
S:Pさんは木版画作家というと誰を思い出す? 浮世絵以外の近代以後で。
P:棟方志功。
S:他には?
P:……吉田博。
S:なんかローカルだな。でもまあ吉田は全国区か。ぼくもあまり知らないが、大正時代の恩地孝四郎とかは東京国立近代美術館でやったし、千葉市美術館でやった平塚運一は「木版の神様」と呼ばれているとか。
P:知らないなあ。でも小学校の図工で木版画やったよ。
S:昔なら木版画で年賀状作ったけど今はパソコンか*inko’sだ。美術業界でも最近木版画が話題になることほぼないよね。日本作家が今度の「アジアの木版画運動」にいっぱい出てるけど、有名な人は滝平二郎くらいではないか、それも「きりえ」で知られているだけで版画は知られてないし。
P:アジアだともっと知らないよね。アジ美なら「南洋1950-1965 シンガポール美術への道」(2002年)に木版画が出て、あと韓国の民衆美術の所蔵品が「闇雲に刻む光」にも出てるよね。
S:ウケをねらってわざとまちがえたな。「闇に刻む光」だって。タイトルを全部言うと長いから略して「やみひか」か「アジもく」か。西新のプラリバ閉店になったのは残念だ。
P:福岡以外の人にはわからないって。じゃあ「やみひか」で。「やみひか」は版画も多いけど雑誌とか印刷物がすごくいっぱいあるよね。博物館の資料展みたいな?
S:いや、企画の意図としてはあくまで印刷物もアートだということらしい。たしかに上野誠の原爆展ポスター(1952年)でも、『地下戦線』(1953~54年)とかの筑豊炭鉱の雑誌でも、文字があったり雑誌の素材感があると、ペランとした版画だけより情報量が多くて、反核兵器運動とか労働者文化サークルとか時代の熱気が伝わる。
P:雑誌にペラン1枚の版画がはさまっているのもあるよね。日本の版画運動協会が出した『版画運動通信』(1948~51年)もガリ版の文字で小さく手刷り版画はりこんで、大変そう。
S:それこそまさに、一人の作家で作ったんじゃなくて、文章とか執筆とかガリ切り(編注 鉄筆でガリ版印刷の版を作る作業)とか含めて、いろんな人たちの共同作業でやってた「運動」の証拠だろう。
P:広州(中国)の『現代版画』(1934~36年)って最初の号が機械刷りだけど魯迅さんが手刷りがいいっていうので2号以後は全部手刷りになったんだってね。すごい手間。Sなら魯迅さんに言われてもそんな面倒くさいことしないよね。
S:(即答)うん。
S:魯迅さんは版画をコレクションして展覧会にも出しているし、木版画家にアドバイスした手紙もいっぱいある。ずっと後年でも中国の木版画に魯迅は描かれている。
P:1950年代のシンガポールでも魯迅萌え~という雑誌多いよね。
S:たしかに『萌芽』(1958年)という雑誌の表紙が魯迅だが… これだけいっぱい作品も資料も出ているのに萌え系のはないな。まあ当然だが。飯野農夫也の農婦のやつがちょっとエロいが。
P:作ったときは若かったんだろうけど、みんなまじめだよね。
S:アジ美にある上海のピンナップ・カレンダーみたいなのは魯迅さんも「けしからん」と言ってて、それで木版画を奨励したのだった。
P:絵柄も男性像が多いよね。女性作家もいないんだって?
S:全くいないわけではないけど、あれだけ木版画が広く作られた韓国民衆美術でも女性の木版画作家は少ない。インドネシアの〈タリン・パディ〉には女性メンバーがいたし女性の自立や連帯をうたったポスター(『2006年カレンダー(3-4月)』もあるんだけど、2000年代以後の話。
P:この展覧会は中国とその影響圏のシンガポール、日本、それと韓国がメインみたいだけど、1950-60年代にインドネシアがつなぎ役をして、インターネット時代に突入した2000年代以後にまたインドネシアが盛り上がるのがおもしろいよね。インドのは少ないのに…
S:ちなみに〈タリン・パディ〉と〈マージナル〉の大きな版画は版木の上に布を敷いて、その上を何人かで足で踏んで刷るのだよ。それでも「手刷り」といえるのか。魯迅さんが見たら「足じゃいかん!手で刷りなさい!」と怒られるのでは。
P:かなりどうでもいいような。『人民日報』にのってるすごいインドネシア版画とか現物残っていないのかなあ。
S:まあ1965年の9月30日事件以後は共産党もそれ系の文化人も大弾圧されて、すごい数の人が虐殺されたし… 映画『アクト・オブ・キリング』にあったでしょ。
P:韓国の1980年の「光州事件」(編注:光州民主化運動、光州民衆抗争とも言われる)も『光州5・18』とか『タクシー運転手』で映画になっているよね。だからホン・ソンダムの『五月版画』(編注:版画集のタイトルは『五月民衆抗争ホン・ソンダム版画集 夜明け』)も入りやすかった。
S:あの凄惨な事件から希望を見出し、自力で民主化をなしとげた韓国の人は本当にすごいと思う。それをエンターテイメントにしちゃう図太さも含めて。こないだの映画『1987 ある闘いの真実』では運動家とか学生とかでない普通の人が「六月大抗争」での民主化の達成に大貢献したことがわかる。映画にモテ男として出た延世大学生のイ・ハニョルが撃たれて死にかけている写真は、チェ・ビョンスが版画にして大きな絵に拡大して、民衆美術の代表的なイメージになった。
P:フィリピンでもピープルズ・パワーでマルコスを追っ払って、インドネシアではスハルトを辞任させたよね。日本人は「ポーっと生きてんじゃねえよ!」って魯迅さんに叱られそうだね。
S:魯迅さんガラ悪すぎ。たしかに毒舌家ではあったが…… 彼は日本の版画同人誌を購読していたが、内心「つまんねー奴らだな」と思っていたのではないか。日本では安保闘争の敗北が……なんて話すと長くなるからやめて、恒例の「この一点」を選ぼう。いっぱいあって迷うけど、究極は、小口一郎『野に叫ぶ人々』シリーズの『川俣事件 その2』かな。
S:横長の画面のすごいスペクタクルな構図。1950年代の日本の木版画にはない広角レンズのパン・フォーカス。70mm映画の影響だろう。これの文字部分含めた完成は1968年だから、都市のサブカル隆盛の時代にも、こういう農村の公害問題を扱った作品があったことはもっと知られるべきだ。
P:(何を選ぶか考えていて聞いてない)ぼくはマージナル(ボブ)の『私たちの傷』。
P:パンクというとツンツン頭で不良っぽいイメージだけど、パンクだからこそ社会の底辺にいる弱い人たちに同情できるんだと思う。Sもモヒカン刈りにしたら少しは人助けするんじゃない?
S:(無視)Pさんはパンクなんて聞かないだろうから教えるが、『私たちの傷』というのは彼らが2004年のスマトラ沖地震の犠牲者への鎮魂として作った歌のタイトルなのだよ。
P:そんなこと知らなくても十分感動的なイメージだよ。
S:せっかく解説してやったのに。
P:(時間切れのサインを見て)あ、結局「やみひか」一回しか使わなかった。
プロフィール
S ぬいぐるみのライオン。アート好きのブロガー&デザイナー。他人にきびしく自分にやさしい。
P ペラペラした生きもの。アジア好きのフリーター。自分にきびしく他人にやさしい。
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