江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/06/16 |
夏が近づき、コロナ騒ぎもあって、糸島のアトリエへと思い立った矢先、菊畑茂久馬の訃報が入った。
あの清々しい顔がよぎる。もう会えないのか。そう打ちとけた附(つ)き合いでもなかったが、ふいと出会ったりすると、とたんに嬉(うれ)しくなったものだ。
ぼくは年を取った。今は独り歩きも覚束(おぼつか)なく、閉じこもったきりの日々。ずっと今までに触れあった人たち、たいてい忘れてしまったが、初めて出会った時から菊畑茂久馬は、ぼくの中に住みついたようだ。東京、福岡とお互い離れているが、生きていて欲しかった。
モクちゃんという呼び名は、バレエ教室をやっている義妹や、ミッション・スクールを出たグループの話題にのぼる。若い女の子の口から口へと伝ってゆき、クラブのママさんのところへ一カ月も居候しているらしい、なんて噂(うわさ)は最高だ。
この画家とは、不意に出会った。かなり以前のことになる。銀座七丁目あたり、当時、新しい傾向の作品を並べて評判だった東京画廊に、女性の絵描きに誘われて出かけた。
九州派という名称から、強面な九州男を、ぼくはいつの間にか作りあげていた。キャンバスという平面の模索から離れて、自在に、表現素材を拾いあげる、かなり力のいる仕事。それより未知の造形への挑戦、そしてその集団の先頭を走っている男。
面くらった。端正なもの腰、控え目な表情。聞けば、その九州派から、独り抜け出しているらしい。どうして、その集団から離れたのか。
その頃ぼくは、日本に居なかったので何も知らない。独りになった画家が、どのように日本画壇で、その存在を示したのか。重厚な作品を遺(のこ)している。
少しも力んだ貌(かお)はしていない。どこか薄汚れした絵描きの影も見当たらん。高校時代は同級生だった米倉斉加年の家に転げ込んで、卒業するまで、通っていたという。結婚するなり、嫁のところで暮らすようになったが、嫁の父親とすっかり仲良しになってと、これも又、おいしい筋書。
菊畑茂久馬の一番の才覚は、居候じゃないか、とぼくは思う。自分の都合でうまいとこ入りこんで、共々楽しく暮らし、おいとまする時は家の主に惜しまれたというから、これは美談だ。
いくらかでも双方に気後れが生じれば、忽(たちま)ち壊れてしまう至難の業と思うが、群れを嫌う男が、屈託なく手をつないで生きてゆく。いつか新聞に載っていた<虹>というエッセイ。ほのぼのとして、未(いま)だに憶(おぼ)えている。
ここまで書きつらねてきたこと、みんな本当か。誰からか聞いたというような話ではなく、いつの間にかぼくの耳に入りこんでいる。
ぼくが知っている前衛画家、菊畑茂久馬。女の子の口にのぼると、忽ち敬愛する憧れのアイドル、モクちゃん。本人、素知らぬ顔をしているが、手のうち見せてもらいたい。
言えば、すぐにでも手を拡げて、何でもないと教えてくれるだろう。人生の居候、野暮は言わない。
◇画家、菊畑茂久馬さんは5月21日、85歳で死去。
のみやま・ぎょうじ 画家。1920年、福岡県穂波村(現飯塚市)生まれ。東京美術学校(現東京芸大)卒。52年から12年間フランスに滞在。58年に安井賞。文筆でも知られ、78年に「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞。2000年、文化功労者。14年に文化勲章。
=6月14日付西日本新聞朝刊に掲載=
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